とある公立中学校の管弦楽部定期演奏会に行ってきました。
毎年全国大会常連の学校で
友達の友達が顧問です。
プログラムは
ヴェルディ シチリア島の夕べの祈り序曲
デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
おぉーすごいプロだぁ・・・。
でも正直、「中学生が悲愴?!」なんて思ってたんです。
「悲愴」って曲は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最高傑作と言われ
人生そのものを題材にしたような
様々な感情の織り交ざった
非常に美しくて繊細で大胆で複雑な曲だ
と私は思うんですね。
大好きなんですけど
これを表現するにはある程度の人生経験が必要だろう・・・と。
それがね。
聴いたらですよ。
中学生の演奏。
まだ知らぬ感情への精一杯のアプローチ
ってゆーんでしょうかね。
触れた事のないものを、できる限り想像力を働かせて
「こうかな?こんなかな?」って。
それがすごく残酷なくらい無垢な音がして。
プロのオーケストラがマエストロと呼ばれる指揮者と共に演奏する、
重厚で本物の「悲愴」は、もちろんすばらしいけど
普通では味わえない物を味わってきた感じです。
うまかったんですよ。
すごく。
中学生の部活ですから、プロと比べたら技術やなにかにも
そらー差は当然いっぱいあるんですけど
こんな「悲愴」もあるんだな・・・と。
今まで知らなかった形の「いいもの」に出会いました。
管弦楽部のみんな、いい演奏をありがとう。